OTHER PROJECTS

 

1_walls_I-haven't-seen-her-for-long,-2010

Haruka (The Sun & Scent), Tokyo, 2010

 

Walls

Walls is a portrait project which embraces foreignness and alienness within each of us.

This project has been heavily inspired by the old walls in the city of Ahmedabad, Gujarat, where I have occasionally visited since 2008. After I had experienced a personal conflict with a friend of mine, I noticed that sometime it was much easier for people to build up a wall to keep distance rather than to try to reconcile. This experience turned my eyes to the old walls in the old city of Ahmedabad as a metaphor of physical and psychological barriers for local people who had diverse faith and communal tensions.

Having this awareness gradually sank in, I used the large-format camera to observe differences and foreignness as invisible walls within people around me. In a moment of picture making, something very intense but fragile fell upon us. That told us none remain here for long, just passing through each other. It was not only myself, but also every one of us who was foreign to this world.

Each is such an intense and various concentration as the world has never known before...as matchless as a snowflake. (James Agee, 1940)

Walls

遥かなるインドの大地に、アーメダバードという街がある。街の中心にサバルマティー川がゆったりと流れ、むかって右岸が旧市街、左岸が新市街。新市街はコンクリートのビルや高速道路やショッピングモールが立ち並ぶ、眠らない街。川を挟んだ旧市街の夜は暗く深く静やかで、古びたモスクや寺院や屋敷が立ち並ぶ。そんな旧市街で一番静かな住人はといえば、古い古い壁だった。

2010年、私は大学での講義のためにアーメダバードを訪れた。ある夜に川に沿って旧市街を歩いていた時のこと。ふと気づくと、横には壁が立って静かにこちらを見下ろしている。かつて15世紀にムスリムのサルタン(君主)が建てた、背の高いれんが造りの壁はところどころが崩れ、暗やみの中に佇む。かつて壁により外敵から守られていたはずの街は、壁をはるかに越えて地平線上に広がっていき、人々は壁のことを忘れてしまったかのよう。壁はいま、なんのために建っているのだろう。この日から、もの言わぬ壁の存在が妙に気にかかって離れない。

壁について調べるうちに、私は8年前に起こった忌まわしい出来事について知ることになった。2002年のグジャラート州暴動。ヒンドゥーとイスラムという異なる神を信じ、壁に囲まれた同じ街に暮らす人々がお互いに殺し合うという事態が、数ヶ月間続いた。主に少数派であるムスリムの人々への被害は甚大で、家や商店が焼き討ちにあい、2,000人とも言われる人々が暴徒によって惨殺された。宗教が違うという理由で隣人同士が武器を手にしたという記憶を、街の人は誰も話したがらなかった。忌まわしい記憶は街の奥底に沈んだようにみえて、誰もがそのことを決して忘れてはいないということを知った。

宗教というものが人々を分けているのか。それとも、人々を分け隔てるものがあるとしたら、そもそもそれはなんなんだろう。

その疑問を出発点に、私は大判カメラで出会った人々の肖像写真を撮り始めた。大判カメラとフィルムを使ったのは、撮影するときの被写体と私の間に走る緊張感と、お互いがお互いと向き合うまるで儀式のような数分間がほしかったからだ。撮影した場所はインドと、当時住んでいた英国、そして祖国である日本。大判カメラを担いで被写体となる人々の家を訪れ、その人が落ち着く場所に移動してもらい、自然光だけで撮影した。撮影しながら、その人が信じているものについて、話を聞きながらシャッターをきった。

私の思惑は外れた。宗教というものが人々の差異を形づくるのではないということを、撮影と観察を続けるうちに気がついた。人と人のちがいを知りたいと思ううちに、やがてそれは宗教のちがいという出発点を越えた「その人個人」に対するまなざしへと変わっていった。

Each is such an intense and various concentration as the world has never known before...as matchless as a snowflake. (James Agee, 1940)

わたしたちはそれぞれに全く異なる何かのかたまりであり、世界は後にも先にも同じ存在を知らない。それは雪の結晶のように。(ジェームス・アジー 1940)

そもそも「あなた」と「わたし」を分け隔てるものは壁ではない。全ての生まれ来る生命は、世界にとってただ一つの存在であり、未知のものであり、そのちがいこそが生命であること。

私たちは全て未知なるものに出会い、そして、遠ざかることを繰り返す。みんなここに永くはいない。ただすれ違うその瞬間に、写真は起こる。



Gelatin silver hand print on fibre-based paper, with selenium-toned. Edition Number of 6 (11"x14") and 3 (20"x24") with Wooden Box Frame and Window Mount.

 

Kagami_Shiho-Kito_01

Kagami

Kagami, Japanese for a mirror, is an attempt to contemplate an idea of photography in landscapes. 

This series was photographed in the city of Gandhinagar, which was named after Gandhi, so-called the Father of the Nation in India. Being located on the west central point of the Industrial corridor between Delhi, the political capital of India, and Mumbai, the financial capital of India, Gandhinagar is relatively new capital city of Gujarat, Western part of India. The city's masterplan was drawn by an architect H.K. Mewada, one of apprentices of Le Corbusier.

However, the city itself seemed less convenient for those who had limited access to motorbikes and cars. When I lived in there from 2014 -16, working as a photographer and a visiting lecturer at the National Institute of Design (NID), I found it quite difficult to move from one place to another even with public transports. Incidentally, It was when girls needed much more precautions for their own safety after public outcries of accusing cruel gang rape cases that had happened across the country.

As night fell, the streets were deserted. I wished to go out to observe how locals spend their evenings and take photographs of them, which wasn't quite possible most of time for transportation and safety reasons. Instead, just around the corners, I found empty billboards, being covered by darkness and having feeble lights reflected on. Looking at its framed-silvery-surface, I realised how it visually resembled to a traditional black and white photograph. I compelled to photograph these 'found photographs' in landscape, which were embodied with light, shadow, and void.

Kagami
郊外都市の夜にふっと現れる、ぽっかりとした空白。

インド西部グジャラート州ガンディナガール。緑豊かな郊外モデル都市を目指して、インド建国の父ガンディーの名前を冠した街。人口550万人を誇り経済発展著しいグジャラート州最大の都市アーメダバードの渋滞緩和をはかるため、1970年代に北23キロ離れたガンディナガールへ州都が移された。それから実に40年の月日が経ったが、州都となったガンディナガールの人口は未だ20万人。

写真家として、また大学の客員講師として2014年から2年間暮らしたこの街で、一番難しかったのは移動すること。灼熱の太陽と砂ぼこりと、道端に捨てられたたくさんのゴミや舗装されていない歩道、そして計画都市のためやたらに広大な土地で、安全に快適に移動することはまず不可能といってよかった。また昼間でも単独での移動には注意が必要だった。特に公共交通機関(私の暮らす町では主にバスしかなかったが)に限りがあり、個人タクシーやオートリキシャなどに頼る毎日で、大都市での集団レイプ事件の記憶がまだ鮮明に残る頃だった。文化的な施設や街のにぎわいはほど遠く、夜は人通りが途絶える。隣町のアーメダバードで夜の街(作品「Pikari」)を撮影していた私は、当然のようにこのガンディナガールの町の夜の景色を見てみたかった。しかし一人で郊外のひとけのない暗闇に踏み込む勇気も足(車やバイク)もない。そんな折に自分が住んでいた大学宿舎のすぐ外に、気になるものを見つけた。インドでは珍しく立派な道路が走る町に、ぽつりぽつりと街灯が灯る。そんな夜の灯りをぼんやりと反射しているのが、広告の貼られていないまっさらな広告塔だった。

夜の暗闇の中に佇む広告塔を見た瞬間、その光景が眼に焼き付いた。何もポスターが貼られていない広告塔の地色は銀色。広告塔が掲げる銀色の長方形は、そこだけが空白のようでもありながら、光をたたえて闇から浮かび上がる一葉の「写真」そのものだった。

from colour negatives in 4x5 in. and BW negatives in 6x6 and 4x5 in.
2014 onwards, Work-in-progress.